師走を走るのは、「師」だけでいい。私は歩きもしない。”引きこもる!”

思想

12月だ。年末だ。師走といって、偉い人でも走るくらい忙しい時期という異名がある。だからと言って周りに合わせてバタバタする必要はない。

この記事を読んで、周りのペースではなく、自分のペースに合わせられる人が増えれば幸いである。

私は人が多く集まるのが苦手だ。毎週行くスーパーだって人が少ない時間帯を選んでいくくらいに。

なのに何なんだ、12月というだけで、人・人・人。人の群れだ。自分のペースで歩かせてくれ。君達、正直遅いのよ。更にミニマリスト計画の為にコツコツと不用品を売却してるのだが、いつものように最寄りのクロネコヤマトさんにいったのだが、行列ができていたのだ!毎年しもやけに悩まされるような私に寒空の下で荷物を抱えて震えろという苦行を強要してきたのだ。この展開を読んでいなかった自分の詰めの甘さに意気消沈しつつ並んでいたのだが、やはりいつもの営業所じゃない。お客さんもスタッフさんもピリピリしているのだ。「あと30分でうちに来るんだね!」不愉快かつ偉そうにスタッフさんに配送の状況を確認するご老人のこの一言で私の心は決まった。

「何なんだ、この不愉快な空間は。もう、こりごりだ。・・・そうだ!12月は引きこもろう」

みんな、お歳暮とかクリスマスに合わせて動いているのだろうが、みんなが一斉に動いたらどうなるか?混雑するに決まっているではないか。混雑は駄目だ。争いを生む。苛立ちを増幅させる。人の欲望が浮き彫りになる。

そんな混雑が多い時期はいつまで続くのだろうか?

「よし、成人式終了まで引きこもるぞ!」

「メルカリとか大きな買い物とかの野外活動は1月16日から通常運転にしよう!」

そして、今、私は最低限の外出だけしてこのブログを書いている。

スーパー↔家↔職場

家と職場だけの往復なんて、なんとシンプルで素晴らしいことか。たまにスーパーというスパイスが効いた場所にもいけるし!私に師走の喧騒は刺激的すぎる。そもそもなぜ、急がなくてはならないのか、誰の為なのか、そもそも、どうしてこんなにやることを1か月に重ねる必要があるのだろうか?

私には特別急ぐ理由はないし、待たせている人もいない、12月じゃなきゃ駄目!という行事もない。静かな部屋でブログを書いている。自分の考えを書いて再認識している。このちまちました自己理解が私は気に入っている。一人なら争いようがないし、苛立たない。浮き彫りになるのは自分という性質だ。

人から見れば退屈でさみしいやつと思われるかもしれないが、私にとってこの時間はご褒美なのだ。

人から見れば偏屈で気難しくて付き合いが悪いやつと思うかもしれない。・・・かもしれないのだ。憶測なのだ、私の。私の憶測という領域での他人ならこう思うという見方なので、結局は私の想像だ。虚像だ。虚像は事実ではない。人の胸の内なんてその人にしか分からない。だれも私のことをわかってくれないし、私もあなたのことをまるっと分かることはできない。

そんなあるようで、ないような、人の目を気にする必要はあるのだろうか。

皆やってるから。その皆って具体的に誰だ?日本人口の何%だ?職場では?クラスでは?

私がいいたいのは、やりたいならやってみればいい。やりたくないなら、するな!

師匠が走りたいなら走ればいい、でも、走る必要のない人は歩けばいいのだ。歩くのもめんどくさいくらい混雑する時期なので、私は引きこもって贅沢な時間を満喫するのだが。

人と少し違うことをしてみると、抜け道をさがすみたいで、案外面白いものだ。

昔から一人遊びと大人しくしていることは得意だった。もう、成人式まで引きこもる準備は整っている。(この日の為に注文させて戴いたものです。)

そういうわけで、オタクSit down!

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