この星は行動の星【スピリチュアル離れて実感】

思想

私は数年前までスピリチュアルが大好物だった。「ザ・シークレット」「引き寄せの法則」

「龍」「神様」「潜在意識」これらの本を5年以上数十冊読んで学んだことを書いていきたい。

よく言われる「願えば叶う」はもう一押し

「願いを毎日唱えましょう」「願いが叶ったかのように振舞いましょう、そうすればその感情が結果を引き寄せます」という手法だが、抜群の効果はなかった。物については手に入る場合もあったが、恋愛やお金などは手に入ることはなかった。物についてもアンテナを高くしたり、検索範囲を広げたり、足繫く通ったりしたからという要因が強いと感じる。

スピリチュアルでは変われないし、生きづらい。

大学の図書館でJ・マーフィーの「あなたも超能力者になれる!」みたいなタイトルの本を読んだことをきっかけにこの分野にハマっていった。それからリーマンショックにより、就職先が決まらないまま大学を卒業、なんとか就いた職場で長時間労働、人間関係の悪化によるストレスで精神科へ逃亡。という間でもスピリチュアルの教えを意識して「感謝、感謝」「会う人すべてが神だ」「いい気分でいなければ」と自分に言い聞かせていた物だ。しかし、状況は良くならない。天は助けてくれない。そしてまた、職場の労働環境が悪化してきた「私の祈りが足りないのか。神よ。龍よ。私の無限のパワーよ、全ての問題を解決してくれーー!!」と願った。それが叶ったかのようにいい気分で出社した。午後にはブラックな職場にげんなりだ。悶々とした感情が湧く「もしかして私のやり方はまちがっているのでは?嘘ではないのだろうか?もう何年も願っているのに・・・いや、でも、ここで諦めたら今まで積み上げてきたことが無駄になるし・・・」

だが、現実は非情だ。メンタリストDaiGo氏の動画をみていたら、「ウォータールー大学の研究によると、スピリチュアルが好きな人は知能が低いって結果が出たですんよねー。面白いですねー。あ、因みにスピリチュアルの科学的根拠なないっす」

・・・ガツーンと、後頭部を広辞苑で叩かれたような衝撃だった。

「やっぱりーー!?ああ、俺、知能低い。知能低いのやだ。スピリチュアル辞める。」

ある意味求めていた答えを引き寄せたのかもしれない。でも、もう嫌だった。目が覚める思いで爆笑したのを覚えている。

スピリチュアルについて私なりの決着

決別すると腹を括った私の行動は早かった。スピリチュアル系の本を全て段ボールに入れてBOOK OFFへと持ち込んだのだ。さらば、精神世界。あれから、スピリチュアル関係の本を読んでいない。真っ向からスピリチュアルを否定するつもりはないし、辞めた方が良いなんていうつもりはない。そういう世界はあるかもしれない、だが、私にその世界のルールは合わなかったという話だ。それから神様というものにも懐疑的になった。初詣は行かない年が多くなり、家族の勧めを断って新車のお祓いはしなかった。家にあるお守りの類も燃えるゴミで捨てた。

「神様。別に僕一人くらい行かなくても平気だよね。僕は自分の健康に気を使うし、神の加護がない分余計に安全運転しないとね。」

もう、僕たち別れましょう。そんな気分だった。

この星は行動の星「重要なのは何をしたか」

スピリチュアル系の本だったと思うが「この星は行動の星です」という文が出てきたとき、「なるほど」と感じた。これは今でも「的を得ているな」と感じる。当たり前のことなんだが、はっと気づかせてくれる表現なのだ。行動しなければ何も変わりませんよ、ほら。と思い出させてくれるのだ。あのブラックな職場から思考で数か月唱え続けても変わらなかったのに、「もう無理です」の一言で勤務地が変わってしまったのである。まずは自分が動く。私は何をするか、私は何をしたいか、そのために今日は何をするか、大事なのは何を思うかよりもどんな行動をするか、だと私は考えている。

目に見えない世界より目に見える世界を私は変えていきたいのだ。目に見える世界は行動に敏感だ。

私は行動を変える方が性に合っていたようだ。皆さんも自分はどの様に変化したいか考えていただき、各々がより良い生活を暮らしていければ幸いである。

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